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執筆者の写真田中 利幸

~シリーズ合理性~その2「反則技」に学ぶ


競技化された格闘技では、ルールがあり、反則行為、反則技があります。 おおよそ、目、金的、後頭部、首、指、頭髪、着衣への攻撃、武器の使用、噛み付きなどがあります。 競技によってルールは様々で、オリンピック競技でもある柔道では驚くほど細かなルールが定められています。 私が中高時代に授業で習った柔道では、寝技で帯や衣を使って相手の手を絞めて動きを封じる粋な技を習いましたが、 今では反則の様です。柔道のルールを見ていると、寝技で有名な高専柔道が得意とする寝技へ持ち込む行為も今では反則になりそうです。 そころで、これらの反則技とされる行為は、もともとは格闘においてとても有効な行為です。 合気道は護身術だとよく言われますが、もし有効な護身術を創るのであれば、これらの反則技を良く研究して採用すると良いでしょう。 少林寺拳法では、入門して直ぐに「目打ち」と「金的蹴り」を習います。これはとても合理的です。 少林寺拳法の型の随所にこの「目打ち」と「金的蹴り」が盛り込まれており、修行者は自ずと目と金的を攻撃する習慣が付きます。 反則技と呼ぶと聞こえは悪いですが、もともとはとても合理的な行為なのです。 私は、合気道=護身術だとは考えていません。しかし、無知であるのもいかがなものかという思いで、時々ですが、反則技の練習の様なことをします。 金的蹴りの練習をしたこともあります。金的蹴りは対男性にしか効果はありませんが、大変有効な技です。非力な人でも、大きな男性の股間を一蹴りすれば、 当たりが良ければ気絶させられるでしょう。蹴りでなくても膝や拳、掌で打つ、強く握るのでも良いでしょう。 合気道にはルールはありませが、固め技、投げ技が中心で、当身のようなことは何か反則の様に考えられているかもしれません。 それは投げ固めと当身を別のものと考えているからだと思われますが、身体の使いようによっては当身の様な投げ・投げの様な当身となり、 投げも固めも当身も区別なく動けるように稽古するのが良いと思います。鍛錬されて抜けきった重い腕は、無造作に振るだけで打ち技となり崩し技や投げ技になります。 その腕は、相手の目に滑り込み、頭髪を掴み、金的を打つことも無造作に行う腕です。 一つの動きを究極まで洗練していくのと同時に、一つの動きに様々な解釈(機能)を見出すことも稽古の幅を広げてくれます。 ところで、自然界の動物達の命がけの戦いを見ていると、当然ルール等なく、多数で囲み、首に噛みつき息の根を止めます。 鋭い牙と爪、素早い足と強靭な筋力は、とても人類の及ぶところではありません。 それでも人類が地球上で最強となったのは、人類が直立し脳が発達し腕が使える様になったことに裏付けされた、チームワークと武器の使用によるところが大きいでしょう。 反則技が合理的であるのと同様に、多人数や武器というものも合理的だといえます。 合気道における、多人数掛けや武器の稽古方法を今後どう進めて行くのかを合理的に考えていきたいものです。

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