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執筆者の写真田中 利幸

~シリーズ合理性~その1「機能美」について


私は銃やナイフが好きな方です。 というと、ギョッとする人もいらっしゃるかもしれません。 銃は、弾丸を火薬で打ち出すこと、まっすぐ飛ばすこと。 ナイフは、何かを切ること、よく切れること。 どちらも単純な機能を追求した道具です。 この機能を追求した結果にたどり着いた形状が、私は好きなのです。 ダーティーハリーの44マグナム(S&W M29というそうです)やランボーのサバイバルナイフ(こちらは見た目重視の特注品だったそうですが)は有名です。 そうかと言って、特にコレクションや知識があるわけではないのですが・・・ 同じ様に、ホームセンターで道具を眺めるのが私は好きです。 少し前に、鍵の形状をした、ナイフやドライバーや栓抜き等の複数の機能を詰め込んだ道具(これはキーホルダーに鍵と一緒につけておける) を買いました。時おり、これを使う機会を見つけては喜んで使っています(特にナイフの出番が多い様です)。 この道具の場合は、1つの小さな体積に多くの機能を詰め込んだ結果に至った形状といえます。 ・1つの機能の精度を追求した結果に至った形状 ・多くの機能を小さい体積に詰め込んだ結果に至った形状 どちらもカッコイイのです。 どちらの場合も、機能(用途・効率・強度・精度などの、使いやすさ・便利さ)を求めた結果の形状です。 そこには「機能美」があります。 機能美というのは、機能を追求して無駄を除き切った結果、”意図せず”現れる美しさといえるでしょう。 この「機能性」を「合理性」と言い換えてもよさそうです。 合理性を追求した結果に至る美がある。 人間がもつ美意識というものはとても不思議な能力だと思います。 美意識というのは、直感的にその対象の素材やバランス等の機能(合理性)を見抜く能力なのかもしれません。 そうだとすると、美しいものの中には合理性が潜んでいる、と逆に言えそうです。 一般的に、機能性、合理性は人間の思考の範囲で判断されるものですが、人間の思考の限界を超えた合理性があるとすると、やはりそれも美しさをまとっているはずだと思います。 「人間の思考の限界を超えた合理性」の究極を、私は「真理(しんり)」と呼んでいます。 私にとっての真理というものは、宗教的なものではありませんが、とても神秘的なものです。 例えば、物理学の目的は、この全宇宙、この世全てを1つの方程式で記述することですが、もしそれが叶えば、その方程式は真理そのものだと思います。 科学・技術というものは、合理性の側面から真理へアプローチし 芸術・美術というものは、美の側面から真理へアプローチしているといえるかもしれません。 真理を直接見たり語ることはできませんが、真理は「美」という形で私達の前に現れているのだと、私は考えています。 もしかすると、そもそも、「美」と「合理性・機能性」は切っても切れない関係なのかもしれません。 合気道の動きを美しく(かっこよく)行うことは、見栄や気取っていいるのではなく、道を深く追求する上でとても大切な取り組みかただと思います。

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