高校生の頃、美術の授業で、油絵で自画像を書きました。 いよいよ色を塗るという時点で、私は考えました。 色を塗ることの意味を。 そして、思いついたのは、まず、白と黒だけで、明暗を塗ることでした。 色の本質は光、光は明暗、シンプルに純粋に・・・と考えた訳です。 当時の美術の先生は、30代後半くらいの男性教諭でしたが、とてもクセのある人で、 いつも美術室の奥の部屋に籠もって不思議な油絵を書いていて、その隣には山盛りになったタバコの吸殻があり、 いつもタバコ臭かった記憶があります。いつも黒いスーツを着て、ヒゲをたくわえ、ちょっと近寄りがたい雰囲気の人でした。 その先生が、白黒の自画像を塗っている私の後ろにじっと立っていました。 「う~ん、空気を感じる。。。 このあたりに(絵の色を塗っていない部分を指差し)空気を感じるなぁ」 要するに、褒めてくれているのです。とても嬉しかったのですが、しかし。 「もう、ここで止めてもいいよ。これで完成にしてもいいんだよ!」 と先生。しかし、この授業はあと何日か続く予定であったし、私としては白黒を塗ったあとに、他の色も入れたかったのです。 先生の、(そこで止めとけ、それ以上色を塗るなという)熱いメッセージはわかったのですが、私は色を塗ってしまいました。 私の絵に空気を感じなくなった先生は、その後私の後ろに立ち止まることはなくなりました。 その後、他の数名の生徒の自画像が優秀作として校内に飾られましたが、私の作品は選ばれませんでした。 ちょっと、悔しい思い出です。 さて、なぜこのようなエピソードを書いたかというと、私の稽古で行っている鍛錬法も、この白黒の自画像のようだなと自分自身で思うことがあるからです。 私の自画像では、色の本質である光を単純に白黒で捉えることから書き始めました。 私の鍛錬法では、武道の本質(と言って良いのかどうか)である「動き(=自由=自由度)」を生み出す源を「柔らかさ」であるとして取り組んでいます。 柔らかいもの程多くの動きのパターンを持ちます。固い程動きのパターンは少なく、完全に固いと動きはゼロです。 逆に完全に柔らかいと動きは無限大ということです。 聞き慣れない方もいらっしゃるかもしれませんが、「自由度」という概念が物理学にあります。 1本の四角い棒があるとして、その棒が上下にだけ移動できるとしたら、それは1自由度です。 加えて、左右に動けるようにすると2自由度、前後を加え3自由度となります。 さらに、横回転を加え4自由度、残りの2方向の回転を加えれば6自由度となります。 その棒が柔らかくて変形できれば、更に自由度は増えていきます。 (中高生の皆さん、熱力学の比熱の正体が自由度なのですよ!) 動きのパターンの多さは選択肢の多さにつながります。 その時その時の選択肢が多いほど、その人は「可能性」をもっていると言えるでしょう。 無限の「可能性」があるということは真の「自由」ということだと思います。 ですので、「柔らかさ」は「自由」につながり、「固さ」は「不自由」ということになります。 ではどうやって柔らかくなるのか? 単純に考えました。 「こねて」「ほぐして」「ねる」 1つ1つ柔らかくないところを見つけ出してはそこを「こねて」「ほぐす」のです。 ほぐれたら、さらにこねて「ねる」、ねると粘りが出てきます。 動きが滞るところを見つけたら、そこを何度も反復動作を行って滞りを無くしていきます。 逐一投げて倒れていてはお互いの体力が勿体無いので、投げるのは置いといて、「こねて」「ほぐして」「ねる」ことに没頭します。 それから、正面打ちをただ打たれる、かわそうとか、捌こうとかせず、ただ打たれる鍛錬法も行っています。 これも考えてみれば、打たれる状況下で固くなる自分を見つけて自分をほぐしていく取り組みです。 柔らかいまま平気で打たれることができる様にするのです。 色の本質を明暗に分けた様に、柔らかさの対極にある「固さ」を完全に否定してしまっては、それは柔らかさをも否定することに繋がります。
では固さをどう受け入れるのか?
それが肚(ハラ)だと思います。 肚の1点に凝縮された熱く固いところを置いてやることで、周囲は柔らかくあることができ得るのです。 ですので、柔らかく行うことを意識するのではなく、逆に肚をこれでもかこれでもかという程に凝縮することに意識を持っていくと、気づかぬうちに柔らかく動けているものだと思います。 この方法なら万人が取り組むことができ難しいこともないので、今はこの方法に大きな可能性を感じています。 指示や説明をしすぎたり、やり方を限定することは、その人の自由度を奪いかねません。 逆に、初心者の方は限定されず「なんでも良い」と言われてしまうと、糸の切れた凧の様に心もとないかもしれませんが、騙されたと思ってお付き合い頂ければ幸いです。 地味で地道な取り組み方ですが、しばらくこの鍛錬法を続けていきたいと考えています。 それにしても、あの先生が、今の私の合気道を見て「空気」を感じてくれるでしょうか・・・