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執筆者の写真田中 利幸

続・なぜ「やわらかい」のが良いのか?


先の記事で表題のことに触れたのですが、読んでいただいた方の中には何か物足りなさを感じたかたもいらっしゃるかもしれません。 それは、何に着眼していたかの違いが原因ではないかと思います。 先の記事では「やわらかい」ということを自己にのみ着眼して書きましたが、そのやわらかさに触れた者の立場の視点では書きませんでした。 先の記事では、自己の中では、やわらかいことで選択肢が増え、最終的にはその無数の選択肢の中から最適なものを最適なタイミングで選択できることについて述べてきました。 今回は、その様なやわらかさを相手にした人が受ける影響について触れておきたいと思います。 物理学的な視点で「やわらかい」ということについて表現するなら、次の2つが思い当たります。 ・粘性=水あめをかき回すときの抵抗 ・弾性=バネやゴムのはずむ特性 もうすこし詳しくこの2つの特性を述べますと、 ・粘性=速度に比例して抵抗が強くなる特性 ・弾性=距離に比例して抵抗が強くなる特性 と言えます。ここで拒絶反応する方がいらっしゃるといけないので、これを砕けた言い方にしますと、 ・粘性=水あめをかき混ぜる棒を速く回そうとすればするほど、回し難くなる性質 ・弾性=バネを長い距離、押せば押すほど押し戻す力が強くなる性質 といえます。 実は、私が合気道の稽古を続けていて、「やわらかい」ということについて取り組んでいく過程で、この粘性と弾性と同じような柔らかさの要素があると感じてきました。 では、俗にいう合気道用語?でこれらの特性を表してみます。 ・粘性=重い、ぬけている(とらえられない) ・弾性=ばねがある、当たりが強い となると私は考えています。 合気道の場合、弾性が強く粘性の弱い人が受けをとると、取りの人は、反応がはっきりしていて、やりやすく面白いと感じられるかもしれません。 逆に、弾性が弱く、粘性が強い人が相手だと、重くて、やりにくく苦手に感じられるかもしれません。 しかし実は、私が理想としているのは、受けでも取りでも、粘性を最大にし、弾性を必要最小限にすることです。 速いものは拒み、遅いものは受け入れ、過度な反応や対応はしないともいえます。 ところで、水にも粘性がありますが、水にゆっくり入れは何ともありませんが、飛び込むと壁にぶつかった様な衝撃があります。これも粘性が関わっています。 早く強いものは壁の様に弾き返す(バネとは異なる)要素も粘性は持っています。 ですので、この粘性の状態は相手によっては爆発的な作用も起こし得るのです。 また、私の解釈では、 ・粘性=無意識的、受動的、意図無し、自己の内面に向かう ・弾性=意識的、能動的、意図有り、自己の外面へ向かう です。 ですので、合気道の稽古を成り立たせるだけの、必要最小限の意図(弾性)をもって受けと取りがやりとりし、あとは自己へ没入し粘性に浸っていくというのが私の理想です。 若い頃は、弾性を全面に出した稽古を沢山行い足腰を鍛錬すると良いでしょう。そして段々と身体が練れて来ると、自然と弾性が弱まり、粘性へと移行してくる様に思います。 躍動的な弾性のある稽古から、落ち着いて枯れた瞑想のような粘性の稽古へと転じていくのです。 それでも、重くて反応の少ない人を相手にする時に困ってしまう気持ちもわかります。

そんなときは、 もっと「待つ」ことです。

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