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執筆者の写真田中 利幸

「おぼえて」「わすれる」


 何事もそうであるように、合気道の稽古でも、特に習い始めのころは、覚えることだらけで覚えきれないと悩むことが多々あると思います。何をやっているのかさえ、訳もわからない内に稽古が終わってしまったと感じている初心者の方も多いのではないでしょうか?

 言葉の学習に例えると、「わたしは、あなたを、あいしています。」という文を日本語を知らない方に教えるとします。教え方にはいろいろなアプローチがあるでしょう。

 1つは、この文の意味を解説して、次に分解して「わたしは」「あなたを」「あいしています」のそれぞれの意味を教えていくという方法。

 または、まず「あいしています」を教えて、次に「わたしは、あいしています」と「あなたを、あいしています」を教え、それから「わたしは、あなたを、あいしています。」と教える方法、こちらの方がのみこみが良さそうです。

 その他、「あ」「い」「し」「て」・・・と1文字ずつ練習する方法や「わたしが、あいしているのは、あなたです」等と別の言い回しも教える方法等を思いつきます。

 意味を教えたり教えなかったり、分解したりしなかったり、別の方法を紹介したり、1つの文を教えるのに様々な方法があると思います。

 合気道の稽古は基本的には型稽古ですので、「わたしは、あなたを、あいしています。」という文を何度も通して繰り返して練習するのが伝統的な方法です。その文の意味や解釈は後回しにして、それよりも、書き方や発音を重視する方法ともいえます。(それも見よう見まねで自分で盗み取るのです。)確かな形として現れる書き方や発音のみを伝え、その意味や解釈は本人に任せるのです。

 どうして初めから意味を教えてくれないのかと疑問に思う方もいらっしゃると思います。しかし実は、言葉で意味を説明したとたんに、本当の意味からずれてしまったり、偏りが生じてしまったりするのです。(本質は直接表現することができないのではないかと思います。)そして、その説明を受けた方は解かったつもりになってしまい、そこからなかなか発展できなくなってしまう恐れさえあります。そうなるくらいなら、解らないと感じているくらいがちょうどよいのです。

 では、本当に解っているというのはどういう状態かといいますと、1つは「見える」様になっているということです。見ただけで訳もなく良し悪しが解るという状態です。ここをちょっとこうしたらいいんじゃないかな?というところがパッと見えるということです。「どうして?」と説明を求められても、説明は後から取ってつける様なものです。もう1つは無造作に無意識に行えているということです。これらを食事のときのお箸の使い方に例えますと、お箸を使い慣れた人は、お箸を使い慣れていない人がお箸を使うのを見て、パッとその良し悪しが解ると思います。また、食事のときに、自分のお箸の持ち方や動かし方など意識しなくても、自然に食事ができていると思います。そのくらいになって初めて解っているといえるのではないでしょうか。

 さて、話を戻しますと、初心者の内は特に「解らない」とか、「おぼえられない」と悩んでいることが多いと思います。ですので私の稽古では、伝統的な型稽古だけではなく、型を分解したり、そのエッセンスとなる原理を体得する為の鍛錬法を取り入れる工夫をしています。しかしその工夫も長所短所があります。短所として、特に初心者の方にとっては、それらの様々なメニューを全て覚えなければならないと思いこんでしまい、余計悩ませてしまっているところもあるかと思います。

 型を含め様々な稽古方法は全て、目に見えない本質を掴む為の手段にほかなりません、「おぼえられない」と悩ませているのは、その数ある手段なのですが、本当に大切なのは手段ではなく本質です。ですので、その日の稽古が終わった時に、細かい稽古方法は忘れてしまっても構わないのです。それよりも、その稽古の最中に、本質を感じようとする美意識を養っていただくのが良いと思います。あなたの中を、たくさんの型や稽古方法が通り過ぎていった後に、自然に残っているものが何かあるはずです。その何かを大切にして頂きたいと思います。

 おぼえた稽古方法を、何度も何度も繰り返すうちに、自分が何をやっているのかもわすれてしまうことがあります。日常生活の動作を意識していないのと同じように、「おぼえた」ことを「わすれる」まで繰り返すのです。稽古方法は、おぼえるためにあるのではなく、「何かを」わすれるためにあると言っても良いでしょう。

 最終的には、その動作に名称もなく、同じ動作をしようともせず、その時その時を淡々と生活する様に行えれば良いと思います。

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