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執筆者の写真田中 利幸

『合気道と健康』 間合い~自己を知る


 去る4月22日、 岡山国際交流センターで開催された 日本労働安全衛生コンサルタント会岡山支部様主催の平成29年春の労働安全衛生研修会で、縁あって、『 合気道と健康~武道哲学からみる健康とは 』と題して講演を担当させていただきました。

 聴講者の方々は健康管理のプロフェッショナルの皆様です。聴講者の方から頂いた御名刺には院長・副院長等の肩書も見られました。そのような方々の前で私が健康を語るのはまさに釈迦に説法です。しかし、皆様の大切なお時間を頂戴するわけですので、私の話を聞いてくださる皆様に、せめて何か1つでも得ていただきたいという思いで資料作成に取り組みました。

 1時間の講演だったのですが、パワーポイントの資料は90枚に膨らんでしまい急ぎ足の講演となってしまったのは反省するところです。しかし、この講演の準備ではいろいろと私自身の武道哲学が前進した様に思われます。そのことに感謝しています。

 武道では間合いを重視します。この間合いは、突き詰めると自己と環境の境界線の認識です。どこまでが私なのか?さらに、私とは何なのか?を問うことが間合いを知ることになると思います。

 例えば、不意に寸止めの突きを目の前で止められたとき、その突いた相手は私の境界内に入ったのかどうか?許せるのかどうか?ということでもあります。

 または、腕をがっしりと掴まれて動かせなくなったとき、その腕は自己の一部なのかどうか?ということです。これは捨身とも関連してくる問題です。

 自己の範囲の考え方として、①「自分自身でコントロール可能な範囲」と、②「他者に入られたくない範囲」があるように思われます。しかしこの2つが一致することは難しのです。

 ①の「自分自身でコントロール可能な範囲」のコントロールとは、言い換えると「整えることができる」ということです。私の武道哲学では、呼吸・脱力・姿勢の状態を常に整え続けることが重要でありこれは心・技・体であり無心・捨身・自然体であり禅・武・美です。

 また②の「他者に入られたくない範囲」とは「捨てられない、捨身になれない」ということです。しかし自己という存在感は実は周囲の環境の陰影であり、写真のポジとネガのように切っても切れない関係であり、自己と環境は常に相互作用していて、互いの存在を支え合っているのであり、どちらかが単独で存在することはできないという様に私は考えます。

 そこから、自己が無限の方向性と流動性を持って周囲の環境に依存する柔らかさをもつこと(技:脱力・捨身・武)、自己が極限まで柔らかくなることは、結果的に自己と環境の境界線を消し、自己と環境の最善の調和に至ること(心:呼吸・無心・禅)、これは自己を消すことであり自己を無限大にすることでもあること、そしてその調和の様子が自然で美しいこと(体:姿勢・自然体・美)が導き出されます。

 この他にも、自己を柔らかくするためには、その対極の凝縮された状態をハラに置くこと、対極の状態を中心の一点におくことで全体が整うのであり、その中心がハラであることなども大切です。

 以上の様な内容を私なりに一生懸命お話させていただきました。とても良い経験となりました。このお話を下さったM様と未熟な私の話を暖かく見守るように聞いてくださった聴講者の皆様に感謝しています。

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