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執筆者の写真田中 利幸

狙わない、構えない

 私達は稽古の場で「正面打一教」と言われれば、正面打ちを打ちますし、その正面打ちを受けて一教を取ります。これは仕方のないことかもしれません。

 

 この時に、私も含め多くの人は「正面打ちを当てる」こと、「一教で取る」ことを狙っているはずです。


 言い換えると、正面打ちが来ることを予想し、その正面打ちを一教で上手く抑えることを計画しているのです。

 また、その技が効果的であることを期待したりしています。

 

 しかしこの計画や予想、期待といった「狙う」といえる心の有様は、私達が目指す道を進む上で大きな障害であることを忘れない様にしたいものです。


 これは「構える」という行為とも共通します。「構える」ということは、ある方向へ偏って準備している行為です。


 そして、準備というのは予想しているということだと思います。


 それらの「狙う」という行為から解放された状態が「自然体」「無心」と呼ばれる状態なのではないでしょうか。そして、それはとても楽で自由な状態なのだと思います。


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