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執筆者の写真田中 利幸

欠けて足る

庭先の蜘蛛が蜘蛛の巣を張っている動きが少しぎこちなかったので近づいて老眼鏡をかけて観察しました。

すると、この蜘蛛はどうやら足が3本ほど欠けている様です。

生まれつきなのか、敵に襲われたのか分かりません。

しかし残った左3本右2本の足でせっせと糸を張っています。

私は、これほど足が足りなくとも巣を張ることができることに感心したのですが、当の蜘蛛自身は、おそらく不自由や未練を感じることも無く残った足でただただ無心に糸を張っているのだろうと思いました。

蜘蛛にとっては、蜘蛛の巣を張ることができればもう「足りている」のかもしれません。


私が高校生の頃、両腕の無い方が、両足を巧みに用いてお箸で食事をしたり、文字を書いたりされているのをテレビで見て驚いた記憶があります。本当に足を腕の様に使っているのです。さりげなく頭をポリポリと掻いたりする仕草も自然なのです。

当時、少林寺拳法を習っていた私は特に蹴り技が好きでしたので、この人の様に足を腕の様に用いる生活をすれば、いつかとんでもない蹴り技ができるようになると思い、生活の中での電灯の操作等を足で行っていました。しかし、いつの間にか面倒になり腕を用いるようになったので、とんでもない蹴り技を習得するまでには至りませんでした。

(少林寺拳法の開祖宗道臣先生は、面と向かって話している相手の頬をこっそり上げた片足でぺんぺんとはたく悪戯をしていたという話を聞いたことがあります。腕の様に足を使えていたのでしょう。)


また、少林寺拳法の本部で昇段審査を受けていた時に、確か諸手巻き小手という投技で、審査ということで張り切っていた私は思いっきり相手を投げ飛ばしてしまい、相手の方が後頭部から落ちて脳震盪を起こしてしまったことがあります。

少林寺拳法は畳ではなく板間で稽古しますので、その衝撃は強いものだったのでしょう。そしてこの時の審査官の先生は、片腕の師範でした。

その片腕の師範は慌てることなく黙って脳震盪を起こしている相手を片手で抱き起し、彼を胸に抱いた状態で彼の後頭部に指圧をはじめました。

程なくして彼は回復し、審査を継続することができたのでした。少林寺拳法の整法(格闘技術の剛法・柔法に対して、整復術として整法があります。さらにその中間的な位置に圧法があります。活殺自在の由縁です。)を始めて見たのがこの時でした。


少林寺拳法では、片腕で行う技が複数存在します。片腕で突き蹴りを捌いて反撃したり、片腕で相手を投げ飛ばす技です。

これらの技は開祖宗道臣先生が、弟子であるこの片腕の師範の為に研究して編み出した技であるという話を聴いたのはその審査の後のことでした。

片腕の技を研究することで、両腕がある人にとっても、例えば多人数を相手にする場合等で有効な技術が出来上がったのです。


大東流合気柔術の岡本正剛先生は車椅子の弟子の為に様々な研究をされた話を読んだことがあります。

初めは車椅子の車輪を固定して行っていたのですが、試行錯誤の結果、車輪を固定しないことでうまく行うことができることに気が付いたそうです。

この車輪を固定しないという発想は、今の私の合気道にも強く影響を与えていると感じています(踏ん張らない)。(この車椅子の弟子の話をモデルとした映画「AIKI」があります)


どちらの例も、欠けていたところから創意工夫し新たな価値を見出した素敵なお話です。


この世には、実は完璧な人など1人も無く、皆何かが欠けてるのかもしれません。

それが身体ではなく心の場合もあるでしょう。


子供の頃、読書家の兄から「『足るを知る』を知れ」と言われたことがあります。

当時の私は「はっ?樽?」という程度でしたから、兄は困った様な顔で老子の話を教えてくれた様に思います。


『足るを知るものは富む』老子


未だに私は、自らの未熟さ不甲斐無さにがっかりして恥ずかしくみじめな気持ちになることが多々あります。

自分には何かが欠けていて、皆にとっては当たり前に分かっていることやできる事が私には分かっていないし出来ていないのではないか等と思うのです。

今日のどんよりとしたこの秋の雨空はまるでそんな私の心を映している様に感じます。


でもきっと、この雨の中でも、あの蜘蛛は今日も何も疑問に思うことなく、動くところを動かし、今という一瞬一瞬を懸命に生き、満たされているのかもしれません。


私に欠けているものが何であるかを探しだしてそれを補うことに思い悩むよりも、今ある自分、自分にあるものを動くだけ動かして行くことができればそれでよいのだと、あの蜘蛛を見習おうと思います。


欠けているからこそ、不足があるからこそ、足りることができる。のかもしれません。(老眼鏡は手放せませんが・・・)


ちょうど今、雨が上がり、日が差し、小鳥が鳴き始めました。

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