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執筆者の写真田中 利幸

性的マイノリティ『LGBT』を考える

 先日、妻とテレビで、性的マイノリティについての特集を見ました。

 まず、LGBTは何の略なのか、とか、LGBT以外にも種類があること等が述べられ、私は妻とLGBTについて整理するための議論を行いました(呑みながらでしたが)。

 その結果、当初はLGBTについてしっかり理解できているつもりであった私でしたが、とても曖昧な理解であったことがわかり、ついでに妻の賢さもわかりました。



 私は何が解っていなかったかというと、LGBTというのは自己の状態を指すのみであると考えていたことです。

 議論の結果、妻の指摘により気が付いたのは、自己の状態・相手の状態・自己の性的指向の3つの視点が必要であるということでした。


①自己の状態:肉体の性、精神の性(性自認という)

②相手の状態:肉体の性、精神の性(性自認という)

③自己の性的指向:好きになる対象の状態


 このあたりのことは、法務省が公開している動画等を見ると解りやすく整理できます。


<コチラ>

  ⇓

 法務省

 https://www.moj.go.jp/JINKEN/LGBT/index.html



 その議論によって整理された私の頭の中を図にしてみました。



 こんなかんじですが、改めて図の様に計算してみますと、存在し得るカップルのパターンが81パターン以上になりました(私独自の計算ですのであしからず)。


 さて、話はここからです。

 自己の状態や、性的指向の種類分けを行っていくと、図では「その他」と書いた項目が実際には数種類あることが解ります。今後もっと増えるかもしれません。

 では、この種別を全て覚えることが大切かというと、私はそうは思いません。大変です。


 私は次の様に思うのです。


 自己・相手・性的指向の状態は無数にあってよい、自己の状態は自己にしかわからない、相手の状態は相手が決める、だれを好きになっても良い。


 当然これには、他者に危害や迷惑をかけないことが前提です『公共の福祉に反しない限り』ということです。

 日本国憲法より『第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』


 我が家の末っ子が小学校に入学した時、教室で先生が自己紹介の後に、『男の子はこう、女の子はこう』と椅子への座り方のポーズを指導していたことを思い出します。

 座り方でいったい誰に迷惑をかけて公共の福祉に反するのかは、議論が必要なのかもしれませんが、私には、滑稽で封建的な指導であったとしか思えません。

 『あなたは男です』『あなたは女です』という権利はだれにもなく、『わたしは〇〇です』という権利が本人にあるだけのはずです。

 たとえ悪気はなくとも、こういった些細なことの積み重ねが、マイノリティの人々を苦しめて追い詰めていくのだと思います。


 武道を志していると、いつも『暴力』ということについて私は考えています。『暴力』とは何か?と。

 暴力とは、踏み込む必要が無いはずの他者の領域に、有無を言わせず踏み込んでいく『侵略』のことだと私は考えています。

 そして私もまた、知らず知らずのうちに、自らの価値観を他者に押し付けてしまう『侵略』即ち『暴力』を行っているはずなのです。


 どうして、放っておいてあげられないのか、干渉したくなるのか、決めつけたり、踏み込んでしまうのか、考え続けなければなりません。


 私は常々、武道は弱者の為にある、と考えています。

 弱者という言葉を、臆病者と置き換えても良いですし、数的に弱い立場(マイノリティ)と置き換えても良いと思います。

 武道は、どの様な理由であっても、目の前に弱者がいたなら、そこに寄り添うということです。

 そして、私自身もそうありたいと願っています。

 この度のLGBTについての議論は、小さな一歩ですが、私を前へ進めてくれた様に思います。


 かつて中高生時代、もしかすると性的マイノリティだったのかもしれない友人に、冗談のつもりでも心無いことばを吐いていたことを今悔やんでいます。

 そして、今現在、このことで悩み苦しんでいる方々の(とくに子供たちの)、少しでも味方になれたなら幸いです。








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