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執筆者の写真田中 利幸

受け身を考える

前受け身、後ろ受け身など合気道に入門すると最初に習うのが受け身です。


受け身というものを単純に言い表すと、


「立った状態から寝転んだ状態への移行手順」


と言えます。


また、受け身を行う上で必要なのが地面です。


ひとりでも地面があれば受け身を行えますが、相手があって本当の受け身になります。


ひとりで行うのは受け身の練習に過ぎず、地面と相手の2者がそろって初めて本当の受け身になるのです。


さて、「立った状態=立ち」「寝転んだ状態=寝転び」を考えてみます。


まず、「寝転び」は、地面の上で人が最も安定した姿勢といえます。

これ以上倒れることはできません。そして楽です。


一方、「立ち」は重力に対して真っすぐなら安定していますが、姿勢が崩れることで不安定になります。そしてまっすぐ立てている時は楽です。


「立ち」と「寝転び」の中間には「四つ足立ち」などがあります。


この「四つ足立ち」は膝や肘を地面に付いたりつかなかったり、仰向けで四つ足になったりと様々なパターンがあります。


「立ち=二つ足立ち」ですから、片手を地面に付けば「三つ足立ち」、両手をついて「四つ足立ち」へと移行します。


「二つ足」→「三つ足」→「四つ足」→「寝転び=体全部が足」


受け身の稽古を行うには、この「四つ足立ち」や「寝転び」での移動を色々と練習すると良さそうです。


★当会の稽古では、色々な四つ足歩きをしながら転がってまた四つ足歩きという遊び要素のある稽古方法も取り入れています。


では、どのようなコンセプトで取り組めばよいのか?


受け身の過程で自らを破壊されない為には、相手より固くなり相手を破壊するか、もしくは相手より柔らかくなり、相手と馴染む(調和する)かの2通りの発想が浮かびます。


受け身に必要な要素である地面と相手の固さは変えることはできません。

畳は比較的柔かい地面ですが、コンクリートの地面より固くなることは困難でしょう。


固さよりも柔かさを選択する方が合理的です。


『相手と地面に対して如何に柔らかく向き合えるかを追求する』ことが受け身の稽古のコンセプトであるといえます。


ここで、「相手」と「地面」の2者がありますが、この2者を1者にしてしまう発想が生まれます。

「相手」も「地面」の一部であるととらえるのです。

相手は環境の一部、相手は景色の一部、なのです。


これが・・・



こうなる。


そうすると、合気道の稽古は、相手を含めた地面の上を四つ足歩きしている様なものであるととらえることもできます。


そして、足で立っているとき、足は「自らを支えている」という点が大切です。

四つ足歩きなら前足=腕も、自らを支えているのです。


相手の上を歩いている前足=腕は、相手という地面の上で自らを支えているという発想に至ります。


最終的には受けの時も取りの時も同じような感覚でしっかりと柔かく四つ足で歩く様に稽古をすればよいのだと私は考えています。


掴んだり打ったりしてくる相手も、見方によっては私を支えてくれる有難い地面なのです。


稽古相手は支え合いの相手であり、受け身とは自らが破壊されることなく安定した状態へと向かうことだといえます。


水は迷うことなくより低い方へと流れていきます。取りも受けも柔らかくしておけば、そんな水の様に自ずと低く安定している方へ流れていくのではないでしょうか。

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