上達について
- 田中 利幸
- 10月1日
- 読了時間: 7分
自転車に乗れる方は、自転車に乗れた日の事を覚えていらっしゃるでしょうか?
私の場合は、少年時代のある日、日が暮れるまで練習しても乗ることができず、翌朝目覚めた時に、なぜか今ならなんだか乗れる気がすると感じ、家を飛び出して自転車に乗ってみたところ、なんと乗ることができ、大喜びで家族へ知らせたのを覚えています。
自転車の場合は、乗れるか、乗れないか、がはっきりしています。
なぜなら自転車は倒れるからです。
興味深いのが、乗れる様になると、乗れなかった時のことを思い出せないというところです。
そして、なぜこんな単純なことができなかったのだろう、と感じるのです。
では、合気道でも、自転車に乗れた日の様な明確な変化が起こり得るのでしょうか?
ここで、合気道の話の前に、わたしが数年続けている水泳の話をしたいと思います。
我が家から車で10分程の所に市民プールがあり、6月中場から9月いっぱいの3カ月半、月曜定休日で営業されています。利用料は子供50円、大人100円と格安なので毎日通えます。
初めの数年は子供を遊ばせるために通っていたので、コースロープが外された遊泳スペースで子供の遊び相手をしていました。隣のトレーニングコースで大人達が延々とクロールで泳いでいるのを「凄いな~」と想いながら見ていた記憶があります。
それでもこのころに50分間水に浮き続けることに成功し、これなら泳げるのではないかという野心が芽生えていました。50分間浮き続けた方法は、私のオリジナルの泳ぎで、ゆっくり潜っては浮き上がるを繰り返すものでした。私はこの泳ぎを変形バタフライと呼んでいました。
そのころの私の泳力はゆっくりの平泳ぎならなんとか25m泳げる程度で、クロールで25mを泳ぐとなると、水を飲みながらの溺れそうな息づぎでなんとか泳ぎ切るといったものでした。
私は小学生のころから水泳が苦手でしたので、特にゆっくりと長く泳げるクロールに憧れがありました。
私の日記を見ると2023年9月14日にクロールで1625m泳いだと書かれています(なんと我が子は何往復かを数えていた)。
この時は、プールで私が「クロールでずっと泳ぎたい」とつぶやいたのを聞いた我が子が突然クロールで泳ぎ始め、私も慌ててそれを追って泳ぎ初めて達成した記録でした。たしか遊泳スペースで泳いだ記憶があります。
それまでにクロールの練習を私なりに重ねていたのでしょう。
日記には「パパの20年越しの夢が叶った(我が子へ)ありがとう。」と私が書いています。
そしてこの年のプール最終日の9月30日には1時間で2kmを泳いでいます。
25mを37秒程度のペースです。
2024年は、この延々と泳ぐクロールに磨きをかけることに集中しました。
息継ぎは左のみ、手1かきにキック1回という2ビートのスタイルです。より楽に、より延々と、より速く泳ぐことが目標でした。
このころは、プールに私1人という日も多々あり、監視員が気を利かせて50分に1回の休憩を控えて、私を泳ぎ続けさせてくれたので、2時間泳ぎ続けることが何度かありました。連続で4km以上は泳いだものと思われます。
そして今年2025年、今年の目標は次の通り。
①クロールの息継ぎが左右でできること。
②4泳法をそれなりにできること。
③バタフライで楽に延々と泳ぐこと。
動画サイトを見て色々な練習方法やコツを学習してプールで実践したりしましたが、9月に入っても伸び悩んでいました。
特に、
①クロールの右の息継ぎができない。
②背泳ぎができない。
が深刻な問題でした。
そんな9月19日(金)、ある動画に辿り着きます。
「あのイアン・ソープらを育てたミルトコーチの教え」(の様な題名)
(Milt Nelms コーチ)
その内容に唖然としたのです。とにかく楽そうで且つ単純。とても魅力的な方法だと感じました。
しかしその泳ぎをするということは、これまで積み重ねてきた泳ぎを全て捨てるといっても過言ではないと感じました。でもやるしかありません。
翌日の9月20日(土)、午前中の合気道の稽古の後、もう一度例の動画を再確認してからプールへ急行、ミルトメソッドに2時間程取り組みました。
すると嘘の様に、クロールで左右の息継ぎができ、背泳ぎがスイスイ進んで延々と泳げるようになったのです。平泳ぎとバタフライも激変し良くなっていることが解りました。
どうして今までクロールの右の息継ぎや背泳ぎができなかったのだろう?と不思議に感じられました。
そうです。自転車に乗れたあの日と同じなのです。突然の大変化が起きて、変化前の事を思い出せないのです。
そしてこう考えました。「本当は今日、自分は泳げるようになったんだ、今までは泳げているつもりだっただけなんだ。」と。
水泳の場合は、自転車程明確ではありませんが、本当の意味で「泳げている」という状態があるのだと思います。
では、自転車も水泳も、その変化の前後で何が変わっているのでしょうか?
私の考えでは、それは「認識」です。認識が変化したのです。
自転車の場合は、「自分が自転車に乗る(=自分が自転車を支える)」、という認識から、「自分を自転車に乗せる(=自転車が自分を支える)」という認識に変化し、その時に、ハンドルを握りしめていた手は、ハンドルの上に乗っかり、ペダルを踏みしめていた足は、ペダルの上に乗っかり、全身が自転車の上に乗っかるというとても単純な動作へと変化するのだと考えます。
水泳の場合も同様です。ミルトメソッドを実践すると、それまで大事にしていたストリームラインの感覚はなくなり、力を抜いてだらんと水の上へ自分を覆いかぶせる様に「自分を水に乗せる(=水が自分を支える)」という認識に変化します。手のかき方も単純になります。
物事の上達というのは、一言に上達といっても、いくつかの種類があると考えます。
ここではつぎの3つに分けてみました。
①知識・経験
②小さな気付き・コツ
③大きな変化=認識の変化
まず、「①知識・経験」ですが、知っていたり、やったことがあるというものです。
合気道であれば、型を覚えていたり、型を通しての感覚を経験で覚えていくというものです。
動きに慣れてきたり、動きがスムーズになったりするものです。
この上達は比較的安定して小さな成果が継続してあります。

次に、「②小さな気付き・コツ」です。これは、稽古を続けていれば誰もが経験しているはずで、少し意識的に行っている様なものです。
これまでの個々の問題を個々に解決してくれたりします。
その人の合気道の個性にもなるものです。
この上達は突発的に起こり継続的ではありませんが、大きな成果があります。

最後に「③大きな変化=認識の変化」です。これは自転車に乗れた日の認識の変化のことです。
自転車なら乗れるか乗れないかで明確に分かりますが、水泳の様に上述の①②だけでもそれなりにできることの方が多いと思われます。合気道もそうです。①だけでも合気道はできます。
この上達は認識の変化によって起こり、これまでの個々の問題の多くを同時に解決してくれます。
この上達は滅多に起こらず、全体像を大きく変化させてしまうものです。
真の上達とは変化することだともいえます。


では、合気道における③に匹敵する上達とは具体的にどのようなものなのでしょうか?
★ここから先は、合気道ではなく「私(田中)の合気道」のお話です。
私の合気道における「③大きな変化=認識の変化」の代表的なものを次にあげます。
・自分と相手の間の力のやりとりは「よりかかり(+)」と「ぶら下がり(-)」しかない。
・日常の生活動作の様に行う。
・腕を前足として相手という台地に立ち、歩く。(立つ=よりかかり)(=相手が自分を支える)
他にも、
・咄嗟に行い、計画・予定・予測はしない。
というのもありますが、これは思想や心構えに近い性質のもので、同じ枠に入れるべき項目であるかどうか迷うところです。
さて今回は、水泳の話を長々と書いてしまいました。
ところで
「③バタフライで楽に延々と泳ぐこと。」
はどうなったのか?
昨日がプールの最終日でした。
「バタフライで延々と泳げるようになりたい」とつぶやいた私の横で、おもむろに泳ぎだした我が子は、延々と楽にバタフライを泳いでみせたのでした。
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