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執筆者の写真田中 利幸

「遊びの要素」と「稽古の構築」

 現在のような、感染防止対策を要する状況下での稽古では、皆様が苦労と工夫を積んでいらっしゃると思います。

 そして、私もまたその1人といえます。

 私の稽古では、現在(2020年7月)は、身体接触が無く、呼吸が荒れない稽古を模索しています。

 主には木刀を用いた稽古法を模索中です。


 そこで今回は、私自身が稽古を構築していく時に、ときおり参考にしている「遊びの要素」をご紹介したいと思います。この「遊びの要素」は新しい稽古方法を模索する上で参考になります。

 それは以下のようなものです。


『遊びの要素』

1. 【模倣性】:これまでの記憶や友達の様子を見て真似て、一緒に行動できること。

2. 【偶然性】:予期しない動きが発生し、変化に富んでいること。また新しい発見の喜びがあること。

3. 【競争性】:友達とルールを決めて行動したり、できるまでの過程を楽しんだりできること。

4. 【リスク性】:勇気をもって試みるものがあること。試みた結果、達成の喜びがあること。

5. 【秘密性・特異性】:大人に監視されないで、ひとり、または友達と静かに過ごす場所があること。

6. 【回遊性・反復性】:気に入ったことを飽きるまで繰り返し行うことのできる、ルートや仕掛けがあること。

7. 【めまい・陶酔性】:一時的に知覚を麻痺させる要素があること。


 以上の分類は、研究者によって異なる場合があるようですが、凡そこのような感じの分類です。


 一般的な合気道の稽古では【模倣性】と【反復性】が主となっているかと思います。

 前に立っている先生の動きを模倣し、それを反復している・・・ということです。

 

 それでは、他の要素についてはどうでしょう?


【偶然性】

 これについては、私の稽古では、「動きの固いところを見つけては、そこを、こねて、ほぐして、柔らかくし、自由にいろいろと動かして、様々な新しい動きを作り出していく」ということを行ってきました。

 まさにこれに該当すると思います。

 ただし、偶然というものには危険も背中合わせですので、怪我や事故に留意して行う必要がありそうです。

 現在の私の稽古では、木刀を用いて互いを練りあうような稽古を模索しているのですが、木刀の切先が目に入ってしまう「偶然」が起きないように注意が必要だと感じています。


【競争性】

 子供の稽古であれば、「何回できるか?何秒できるか?」などで競争に持ち込むことが行いやすいでしょう。

 私の稽古では、「手押しゲーム」といって、”触れるのは肩から腕のみ””片手を後ろに隠す””足をそろえて立つ””相手をつかまない””足が動いたら負け”というルールで互いに崩しあうゲームを行ってきました。

 これはとても面白く、右手VS右手、右手VS左手、片手VS両手、無手VS両手などいろいろなパターンで楽しめます。

 これと同じ様なことを木刀で行うとやはり危険ですので、水道チューブと木材で作った安全な刀を用いて行うことがあります。

 ただし、その刀ですと水道チューブの素材の特性で、摩擦が強く刀が滑らないので、木刀で”絶対に!エキサイティングにならない!!!”という約束の上で、”切られる時は上手に見事に切られれば良いのです”というつもりで切りあいを行っていただくことも行っています。これは本当に危険ですので、力まずにゆっくり行うことを徹底して行う必要があります。


【リスク性】

 私が子供のころ、近所の友達と、近場の崖から飛び降りたり、急な坂道を自転車でブレーキをかけずに降りるといった危険な遊びしました。

 どちらも相当な勇気を振り絞って挑んだことを覚えています。(しかし、そのどちらも命を落としかねない危険な行為ですので絶対にまねをしてほしくありません。)

 合気道の稽古ではいわゆる「飛び受け身」に挑戦することがこれに該当するのかもしれませんが、私の稽古では「派手で過剰な受け身をとらないこと」を度々申し上げてきているので、飛び受け身の稽古をしようとは思っていません。

 これまで殆ど木刀を持ったことのない方にとっては、木刀を用いた稽古そのものにリスク性があるのではないかと思います。


【秘密性・特異性】

 これは自宅や公園などで行う「1人稽古」に該当すると思います。

 私自身は、1人夜の公園で木刀の素振りを行っていた時期があり、私流の素振りがあります。

 しかしその我流の素振りは人様に教えるようなものではないと考えてきました。

 ですが、この状況下では、その引き出しも開けてみることにしました。自分で良いと感じていることは共有したほうが良いと考えたからです。

 一方、子供の稽古では、私がお題を出して、そのお題について3人1組になって考えてもらうということを行ってみました。

 この方法は、受動的な稽古から主体的な研究に変化させることができたと思います。


【めまい・陶酔性】

 これは五感のいずれかが麻痺するということで、例えばグルグル回った後に目が回るという類のものです。

 この様な麻痺とは異なるのですが、稽古に集中していくと、一種の陶酔状態になることはあります。

 逆に言えば、その状態にならない様では良い稽古とはいえないと、私は考えています。



以上の様に、遊びの要素に着目して、稽古内容を構築することで、制限された中でも、楽しめる稽古を工夫することができそうです。

しかし、従来の稽古にある【模倣性】と【反復性】が実はとても重要だと思います。

何をどれほど模倣したのか、どれほど反復し、何が変わったのか・・・


模倣の深さに変化がなく、反復の後に変化がないのでは実りがない稽古といえると思います。

「気付き」が伴わない模倣と反復ではどうしようもありません。



昔々、私が白帯だったころ、東京での師の稽古にひょっこり現れた私に、


師は「何しに来たの?」


と尋ねられました。


私は元気いっぱいに


「遊びに来ましたっ!」


と答えて叱られました。


私が言いたかったのは「(神戸から)東京へ遊びにきました。その足で(”ついで”ではなく)稽古に参りました。」ということだったのですが。

しかし今、稽古に遊びの要素を入れようとしている私ですから、あの時(先に)叱られておいて正解だったのかも知れません。



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