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夏の夜話

執筆者の写真: 田中 利幸田中 利幸

さぁ!

子どもたちは待ちに待った夏休みが始まりました!

宿題をさっさと終わらせておおいに遊びましょう!


こんな、ちょっと時間のあるときに、ちょと考えてほしいことを書いてみました。

ほとんど合気道とは関係のないことですが、興味を持ってほしいことです。

眠れない夜を過ごしている大人のみなさんにも!

(と言いつつ、長文になってしまいました・・・)



(1)生命ってなんだろう?


 現在、生命の存在が確認できているのは地球上だけです。

 そもそも、生命とは何なのでしょう?

 生命はいつからどうやって発生したのでしょう?


 生命の起源は今からおよそ40億年前と言われています。

 生命の発生については様々な説があります。


 数ある説の中の自然発生説は、無生物である物質から単細胞の様な生物が発生したというものです。

 ここで議論の的になるひとつが、『膜(まく)』の発生です。

 

 おおざっぱにいうと、膜の内側が自分(生命)で、膜の外は自分以外であるというものです。

 

 そう!生命には、自分という己を周囲と区切るための境界線となる膜が必要なのです。


 もう一つ、生命の特徴として、自己複製を作るという特徴があります。

 細胞分裂をしたり、子供を産んだり、種を作ったりするのです。

 この自己複製には遺伝子(DNA)が欠かせません。

 遺伝子は1つ1つの細胞の中に入っている、生命の設計図です。

 

 なぜ?、どうやって?、膜や遺伝子ができたのかは謎です。


 また、生命は、外から栄養を取得します。植物なら土等から、動物なら捕食等からです。


 そして、多くの生命にとって避けられない特徴として死があります。

 ※アメーバとかは別です!


 このように生命の特徴を挙げることはできますが、生命を定義することはとても難しく議論が尽きません。


 もしかしたら、この広い宇宙のどこかに、膜も遺伝子も持たず、死ぬこともない、ガスのような存在でありながら、自我の意識をもつものが居るかもしれませんね。

 それはそれで生命と呼ぶことができるかもしれません。



(2)動物ってなんだろう?


 生命を大雑把に分けると、動物、植物、菌類等に分けられます。

 とはいっても、ミドリムシの様に動物の様に動き回りながら、植物の様に光合成するものもあります。


 ところで、私たち人間は動物です。


 私達はどうしてこのような姿になったのでしょう?


 ★これはあくまでも私の持論です・・・


 原子生物の時代、アメーバのような単細胞のころは、動物であっても、前も後もなく、ランダムにうごめいていました。

 動きの中で、他の細胞に接触し吸収(捕食)していました。


 アメーバには足がないので、体の一部が柔らかくなり、そこへ体内の液体が流れ込んで、膨らんで足のようになることを繰り返して移動します。

 ※アメーバの移動についてはまだまだ謎が多く色々な説があるようです。


 アメーバには口はなく、足の様に伸ばした体で相手を包みこんで吸収します。 


 アメーバが捕食するとき、まるで相手を追いかけているかのように足を伸ばします。


 さて、アメーバには『意思』があるのでしょうか?


 徐々にアメーバの様な動物から進化していきます。


 進化のキーワードは『捕食』だと思います。


 よって早い段階で、口ができるはずです。


 同様に相手の位置(におい)を感知する鼻もできるでしょう。


 同じく、相手の位置(音)を感知する耳ができていくはずです。


 そして、相手の位置(姿)を感知する目もできます。


 だから、口を中心に、鼻、耳、目がその近くに配置されているのだと思います。


 なので、動物の『前』は『口』なのです。


 これら、鼻、耳、目の情報を処理する神経が発達していきます。

 におい、音、姿を知覚してそちらへ移動して口で食べるという処理をする神経です。


 この情報処理が、最初の『意識』と呼べるものだと思います。

 とはいっても、非常に原始的で、まだ『自我』とよべるものではないと思います。

 まだ意識や自我というよりは電気信号といったほうが似合いそうです。


 アメーバがどうして相手の方へ足を伸ばすのか、どうして相手側の膜が柔らかくなるのか?

 この仕組は、ひまわりが太陽の方を向く仕組みに似ているはずだと私は思います。

 ※アメーバの移動(方向の決定)についてはまだまだ謎だらけです。


 ひまわり等の植物は、太陽の光が当たらない方が速く伸びます。それはオーキシンという成長ホルモンが、太陽光の影響を受けるからです。

 太陽が当たらない面の成長が速いので結果的に太陽の方へ傾くのです。

 では、ひまわりは自分の意識によって太陽の方を向いているのでしょうか?

 アメーバは自分の意識によって相手の方へ移動するのでしょうか?


 そう考えると、私たちが、『自分』だと信じているこの感覚も、実は単純な、におい、音、光、感触等の感覚の寄せ集めなのかもしれません。



 (3)心ってなんだろう?


 私達が、自分自身だと信じているこの体は、皮膚によって内側と外側に分かれています。

 この皮膚の内側が自分自身であり、皮膚より外は自分ではありません。

 でも、実は、私達は食べて排泄することで、この体の物質をそとの物質と入れ替えています。

 ですので、数年前の私と今の私を作っている物はすっかり別の物のはずです。


 それなのに私たちは、昔とは違う物でてきている今の自分を同じ自分だと感じています。


 身体が皮膚により区切られているように、私達は意識に境界を持ち、その内側を自我と感じているのではないでしょうか。

 私達の意識は、実際には、外から入ってくる様々な情報(におい、音、光、感触など)の影響を受けて相互作用しているはずです。

 また、私達には記憶という情報が蓄積されているので、記憶もまた、情報として意識に入ってきます。


 もしかすると、私達が自我だと信じているこの『私』という感覚は、外からの情報という刺激によって形作られた、写真のポジとネガのような関係なのではないでしょうか。

 私達が熟睡して夢も見ていないとき、私達に自我はあるのでしょうか。

 ※心理学の分野で過去に行われた感覚遮断の実験が有名です。

  

 子供の頃、夏祭りか何かに急いでいて、自転車で長くて急な坂道をノーブレーキで下ったところでバイクと衝突事故を起こしたことがあります。

 目の前のバイクに気がついた瞬間、景色がセピア色になり、音がなくなり、風景がコマ送りで非常にゆっくりと動きました。

 しかし、体は硬直して重く、ハンドルを左へ動かして避けようとしているのですが、少しずつしか動きませんでした。

 状況が良く見えている分、動かない体がとてももどかしかったのを覚えています。

 衝突の瞬間、凄い衝撃とガシャガシャという音がして、次に背中に激痛が走りました。

 かろうじて真正面の衝突を避けて、左に逸れていたのです。背中の激痛は、自分の自転車のハンドルが背中に食い込んだためでしたが、打ち身程度でした。幸い相手のおばさんも無傷でした。


 人間は、状況によっては、意識のモードが変わるといわれますが、この時の私の状態を今考察すると、音や色といったその時必要性の低い情報は遮断して、視覚の情報処理だけに脳が特化していたのだと思います。

 コマ送りに見えたのがとても印象的ですが、もしかすると、日頃は連続的だと感じている人間の意識は、デジタル的なコマ送り(最小の時間刻みがある)なのかもしれません。

 私達の心はまだまだ不思議がいっぱいです。


 ★交通安全には注意しましょう!



(4)この世ってなんだろう?


 ここでは別に『あの世』の話をしたいわけではありません。

 この宇宙空間の話をしたいのです。

 私達の宇宙は、およそ138億年前に誕生したと言われています。

 そしてこの宇宙は今もなおものすごい速さで広がっていると考えられています。

 

 すると単純な疑問が浮かびます。


 宇宙の外ってどうなっているの?


 宇宙が誕生する前ってどうなっていたの?


 この先宇宙はどうなるの?


 残念ながら、全て謎です。しかし、研究はなされています。


 興味のある人は、ビッグバン、背景放射について検索してみることをお勧めします。

 

 これらの宇宙の謎を研究する物理学の分野では、相対性理論、量子力学に続き、これらの両理論の矛盾を解消し得る理論として、超弦理論という理論が現在有力視されています。

 この理論によれば、この宇宙を構成する物質は全て、1種の「ひも」でできていて、これまでのさまざまな素粒子は、その「ひも」の状態、すなわち、ひもが輪っかになっているのかどうか、輪っかなら、その輪っかが波打っているのかどうか等で表されます。

 そして、これまで4次元と考えられていたこの宇宙は、さらに次元の多い11次元等と予言されています。

 そうなると、私達の3次元は、その高次元の影の様な存在なのかもしれません。



(5)人類の悩み


 宇宙のことを考えていると、人類なんてとてもちっぽけで、ほとんどの悩み事は吹っ飛んでしまいそうです。

 

 しかし、人類には、まだまだ解決したい問題がたくさんあります。


 その1つが、「戦争」ではないでしょうか。


 なぜ戦争が起きるのか?


 『ひとはなぜ戦争をするのか アインシュタインとフロイトの往復書簡』という本があります。

ぜひ読んでみてください。


 戦争は紛れもない暴力です。


 私達ひとりひとりが身近な暴力(いじめ、虐待、DV、ハラスメント等)について考えること、自己の内に潜む暴力性について目を向けることが大切だと思います。

 そして、この不思議な宇宙に、たまたまこの瞬間に生命として自我を持っていることを、互いに大切にできれば良いと思います。

 私達は、互いに、極めて稀で貴重な存在であることは間違いないのですから。


 戦争(暴力)の驚異よりも深刻な驚異として『巨大隕石』の問題があります。


 確率はとても低いもののもしも『巨大隕石』が地球に接近して衝突することが分かっても、今の人類にはなすすべがありません。

 そう考えると、戦争なんかしてないで、皆で巨大隕石をどうにかする方法を考えてよ!と思いませんか?


 人類よりも遥かに長い時間を生きた恐竜でさえ、巨大隕石の一撃で絶滅したと言われます。


 昔話題になった「ゲーム理論」にある「囚人のジレンマ」というのがあります。


 互いに協力したほうが結果的に得をすることが分かっているにも関わらず、目先の利益にとらわれて協力しない者が現れて、その者が利益を独占しようとするので皆協力しなくなる。

 といったものです。


 今の人類が、この囚人と同じでないことを信じたいものです。

 


 長々と書いてしまいましたが、実は上記の内容も、私にとっては私の合気道を形造る大切な要素だと感じています。


 最後になりましたが、皆様、暑いので熱中症には気をつけてください!

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