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執筆者の写真田中 利幸

美しいと感じる心 ~道友S様へ~


「気脈(きみゃく)」という言葉があります。 書道の言葉です。 書道用語辞典によれば、 「書の文字間・点画間における気持ちのつながり・流れで、 脈絡のことです。 実際に線が続いていなくとも、 流れ・つながりのある書は気脈が貫通していると感じられます」 筆脈(ひつみゃく)・意連(いれん)とも言われるそうです。 「この書には気脈があるね」などと使われるそうです。 こどものころ書道をかじっていましたが、この歳になって初めてこの言葉を知りました(妻から教わったのですが)。 実は、これまでの私の合気道の稽古でも、この気脈について何度も触れてきました。 ただこの言葉を知らなかったので、逐一、半紙に筆がついていない間でも空中で気持ちが繋がっている、という様な言い方をしておりました。 合気道・武道にも「気脈」があると私は考えています。 そして、その「気脈」には、合理性・気勢・美意識が必要不可欠だと考えます。 与えられた環境・枠組みの中で、適切な型と間で行うための、静かな合理性。 表裏一体の陰陽・表裏・静動・虚実・懸待の呼吸・拍子を司る、ほとばしる気勢。 そして、それら全てを直感的・無意識的に統合・統括する、蛇足のない美意識。 これらが「気脈」という形で、技を通じて現れ、他者に美を感じさせることを以て芸道と呼べるものになるのだと私は考えています。 そして、この精神性は、「禅」と深く結びついており、切り離すことはできません。 弓道では弓の弦が指から離れる時を「離れ」と呼び、とても重視しています。 「離す」のではなく「離れる」のです。 それはあたかも熟した柿の実が枝から落ちる様に、必然的に、しかし突然に起きるのです。 意図的に離すのではなく、離れる時を待つということです。 これと同様に、意図的に美を描くのではなく、美が現れるだけなのです。 意図的に造られた美には、どこかに嘘や偽装が入り込んでいるに違いなく、逆に美の追求から離れることで初めて真の美が現れるという様な思想です。 では、そのような取り組みの何に価値があるのか?そんなことをして何の意味があるのか?と言われるかもしれません。 真の美を別の言葉で言い表すならば、美しくする為に付け足していく美ではなく、不要なものを全て捨て去って残ったものの美です。 不要なものを全て捨て去るのですから、最後に残ったものがあるとすればそれは最も必要なもの、必然的存在といえます。 それを私は真理と呼んでいます。 真理の追求が道であり芸道・武道です。 その真理の影が真の美といえるものなのでしょう。 描くのではなく、影が映る様に美は現れるのです。 春になると櫻が咲きます。 咲くべきときに咲き、散るべき時に散り、そしてまたつぼみを作り春が来ます。 それらどの姿も美しく、私達の和の文化の中で櫻は愛され続けて来ました。 櫻の花は、美しく咲こうとせずとも、そのままでとてもとても美しく真理から愛されているのです。


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