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執筆者の写真田中 利幸

「合わせる」こころ ~受けの取り方など~


小学生の頃、学芸会の合奏で、大太鼓でリズムをとるという事実上の指揮者役をしたことがあります。 私が打つ大太鼓のリズムに皆が合わせて演奏することになっていました。 しかし、本番では、皆の演奏が先に行ってしまい、私の太鼓が慌てて追いかけたり、逆に、遅くなった演奏に私が合わせたりと、右往左往した記憶があります。 今でもあのときの恥ずかしさは覚えています。 プロのオーケストラはどうなのでしょう? 指揮者がいて、それに各奏者が合わせるのだと思いますが、詳しいことは知りません。 以前テレビ番組で、指揮者の小澤征爾さんの特集をみたのですが、本番の何日も前から、何度かオーケストラと練習を行い、自分の指揮の趣旨等を事細かに伝えていました。 その上で、本番の阿吽の呼吸が生まれるのだなぁと考えました。 オーケストラの演奏中では、バイオリニストがソロで演奏する場面もあります。 その様なときは、おそらく、指揮権はソロのバイオリニストに移り、指揮者はそのバイオリニストの補佐役の様に振る舞っている様に見えます。 さて、合気道では、「受け」と「取り」があります。 そして、「受け」の攻撃に対し「取り」が合わせます。 ここで、「受け」の行い方が問題となってきます。 私の「受け」に対する考えを結論から述べますと次のようになります。 ・「受け」が「取り」に合わせるのは良くない ・「取り」が合わせるのを知っているからといって、「受け」がそれを予め邪魔をするのは良くない ・「受け」が守ることに徹するのは良くない ・大げさで派手な「受け」を取らない 同時に、「取り」については次のようにいえます。 ・「取り」が「受け」より先に動くのは良くない、 ・「受け」が邪魔をしないからといって、「取り」が”待たず”に自分勝手にやっつけるようなことをするのは良くない ・「取り」が攻めることに徹するのは良くない ・大げさで派手な「取り」を追求しない 乱暴で自分勝手な「取り」の問題はいろいろとあることを知っていますが、ここではまず「受け」の問題について考えていきたいと思います。 ・「受け」が「取り」に合わせるのは良くない 例えば、正面打ちの時、「取り」が行いやすい様に、「受け」の方が拍子を合わせて打つことです。 届いていない打ち込みや、左右にずれている打ち込み、失速していく打ち込みは問題外ですが、「受け」が「取り」に合わせるのもまた同様に良くありません。 掴む場合では、「取り」の都合が良くなるように「受け」が掴んだ手を開いてしまうのも同様です。 また、掴む場合では、掴んだ手を状況に合わせて小刻みにずらしながら持ち直すのも良くないでしょう。 「受け」の側は隙なくしっかりと攻める稽古を、「取り」の側は合わせて応じる稽古をしているのだと思いますから、「受け」が合わせてしまうと、稽古の意味が無くなってしまいます。 ・「取り」が合わせるのを知っているからといって、「受け」がそれを予め邪魔をするのは良くない これは”教え魔”に多いと思いますが、はじめからまともに受けを取る気が無い場合です。 または、攻めることと、邪魔をすることが混同されている可能性もあります。 攻めを忘れ、守りに徹してしまっているともいえます。 これでは稽古になりません。 ・「受け」が守ることに徹するのは良くない これも先の邪魔をするケースに近いのですが、異なる点は、その原因が守備に徹している事という点です。 様子としては、腰が引けていて、どんどん遠ざかっていくものです。 この場合は、「取り」は深追いをせず、そこでやめるのが良いでしょう。 または、「取り」が積極的に攻めすぎていて、止むを得ず「受け」が守備に徹してしまっている可能性もあります。 「取り」の側も、「受け」の力量に合わせて稽古するのが良いでしょう。 互いに加減のしどころといえます。 ・大げさで派手な「受け」を取らない 本当にピタリと拍子が合った時は、派手な結果になることがあります。 ただし、その結果を「受け」が求めて自ら演じてしまうのは良くないと考えます。 これも「受け」が「取り」に合わせてしまっていることと同様です。 合気道が、わざとらしいとか、嘘っぽいと言われる所以です。 先に、「権威について」で述べた問題点は、「受け」が合わせてしまうことと、派手な受けを取ってしまうことに関係していると思います。 このようにして私が、これは良い、あれは悪いと書いてしまうと、これもまた権威となってしまうといけませんので断っておきますが、これはあくまでも私の考えです。 稽古を行う一人一人が自分で考えて自分なりの理想を求めていれば良いと思います。 今の私にとっての受けの理想は、 ・バネではなく粘りをもたせること ・しっかりと打ち、しっかりと寸止めすること ・ピッタリと掴み、小指が浮かない様にしっかりと掛けておくこと ・捨身にならず、無理もしない ・常に自分を立て直し続けて ・自分の拍子で攻め続ける ・そして相手の技量力量と釣り合う といったものです。 なにも、とことん相手を追い詰める必要はひとつもなく、速度や圧力は相手に応じて手加減すれば良いのです。 その上で、正確に丁寧に、ごまかさず、隙きがない受けをひたすら行い続ければ良いのだと思います。 さて、春休みに実家に帰省していた妻子が戻り、私のつかの間のソロ演奏は終わり、妻のタクトが振り上げられた様です。


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