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執筆者の写真田中 利幸

なぜ「やわらかい」のが良いのか?


一般に合気道の特徴の1つとして、「やわらかい」ということが挙げられます。 合気道の稽古をされている皆様も、やわらかく行いなさいと教わっているのではないでしょうか。 ところが、この「やわらかい」という言葉は漠然としていて、「もっとやわらかく!」と言われても、具体的にどうして良いのかわからないことも少なくないのではないかと思います。 そこでまず、私が思いつく「やわらかい」「かたい」の種類を次に挙げてみます。 ①関節の柔軟性(例:バレエダンサー) ②力みの有無(例:熟睡した人、泥酔した人) ③自由な発想(例:こども、芸術家) ④周囲環境との同調(調和)(例:川を流れる水、風の中の柳の枝) ※例は「やわらかい」の例です 以上が、私が考えてみた分類ですがいかがでしょうか? 私にとっては①~④のどれも同様に重要な柔らかさなのですが、取り組む順序としては①→④が良いと考えています。 さて、これらの項目で、「やわらかい」場合と「かたい」場合の違いは何でしょう? ①関節の柔軟性=可動域の違い ②力みの有無=入出力量の違い ③自由な発想=選択肢の量の違い ④周囲環境との同調(調和)=??? という違いになってくると考えます(④については後ほど)。 では、①~④について1つ1つ以下に述べます。 ①関節の柔軟性=可動域の違い  関節の柔軟性があれば、それだけ1つの関節が広く動くことができます。  可能な動きの量もかわってきます。 ②力みの有無=入出力量の違い  入力と出力の量に違いがでるという意味なのですが、説明が必要です。  まず、入力とは情報のことです。  力みが無い方が相手(周囲環境)からの情報量が多くなるという意味です。  これにはある程度の経験が必要ですが、例えるなら、力みのある状態とは高速で走る車を運転しながら安全確認をするようなものです。  これに対して、力みがなければ、徐行している車に乗って安全確認するような感覚で雲泥の差があります。  別の例を挙げれば、雑踏の中で会話するのと、静かな草原で会話することの違いです。  ですので、この情報量が多いというのは、言い換えると、余計な情報が少ないともいえます。  次に、出力とは膂力のことです。  全部で10の力がある場合に、すでに5の力みがあると、のこりの5しか出す余地がありません。  これが力みがなく最初が0であれば、のこりの10全部を必要な時に出すことができます。  これが出力の多さですが、単純に筋肉の力というだけではなく、力みの無い状態で受け止めた相手の力に、我が身を任せるようにしてから出し始める力は質が異なります。  これは、物を押したり引いたりすることに長けた人の動きが、寄りかかったりぶら下がる動きになっていることと同じことです。 ③自由な発想=選択肢の量の違い  なにか1つの事態に対して、私達は幾つの選択肢をもつことができるのでしょう?  選ぶことの大変さを除けば、選択肢は多いほど良いと思われます。  既成概念に囚われない自由な発想があれば多くの選択肢を持つことができるでしょう。  選択肢の多さは、言い換えると、可能性の大きさです。  選択肢を多くすることは可能性を大きくすることだといえます。  実は先の①②もこの選択肢に関わっています。  関節の可動域が広ければ、できる動きの量も増え、選択肢の増加に繋がります。  入力される情報量の多さは、選択する機会(分岐点)をも多くし、出力量は、加減できる量に繋がります。  やわらかさは、選択肢を最大化すること、可能性を可能な限り大きく残すことに繋がります。 ④周囲環境との同調(調和)=???  風に吹かれる柳の枝、川を流れる水の動きはだれが選んでいるのでしょう?  柳の枝はいろいろな方向へ柔軟に曲がるでしょうが、柳が自らこんどはこっちへ曲がろうと決めているのでしょうか?  水は変幻自在に形を変えられますが、その形は水の意思でしょうか?  コップに入った1杯の水は果たして何通りの形状に変化させることができるでしょう?  おそらく無限といっても差し支えないでしょう。  その無限の選択肢の中からどうやって1つの選択肢が瞬時に選ばれているのでしょうか?  とうぜん、柳は風向きやその強さに、水は川の形状や流れによって自動的に次の形をきめているのです。  しかも決して失敗することはありません。  川を流れる水の様に、川という周囲の環境に身を委ねて任せきるとき、「選択する」ことから開放されるのではないでしょうか? 周囲環境との同調(調和)=「選択」からの開放  言い換えると、周囲の環境に選択してもらっている、お任せしているということです。 以上の様に、私が思うに、やわらかさは選択肢(可能性)を増やし、その中から的確な選択肢を選ぶ(周囲環境に選ばせる)ことに繋がるので、「やわらかい」のが良いのです。 最後にもう1つ付け加えるならば、この「やわらかさ」を獲得するためには、その反対の「かたさ」を自己に含有することです。 それが肚(ハラ)です。凝縮された極小の1点として肚をおくことで、その周囲をやわらかくできるものと考えております。 稽古の場で、相手を強く投げようとか、上手く投げようという欲望を捨てきれないなら、それ以上の柔らかさを求めることは困難かもしれません。 「固くなるくらいだったら、やられたほうがマシだっ!」というくらいの決意で取り組むことが必要だと思います。 やわらかくやっても相手が受けをとってくれなければ、そこで固く行うのではなく、「すみませんが、受けをとってくださいますか?」と謙虚にお願いするか、そこで止めることです。 そういう固い決意を肚に込めるのです。


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