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執筆者の写真田中 利幸

礼・感謝・謙虚さ


 武道を習うと礼儀ができるようになる…

 礼儀=挨拶?

 最初に断っておくと、私は誰にでも大声で「こんにちわっ!」と挨拶できることが礼儀正しいとは考えてはおりません。

 それはなぜかというと、相手の状態によってはそれが必ずしも良いとは言えないことと、挨拶する人自身が無理しているならそれもまた良くはないと考えているからです。 

 武道における礼とはいったいどのようなものでしょう?

 私なりに考えてみました。

 合気道では、稽古の始まりと終わりに正面に礼をします。

 ペアを組んだ稽古相手にも同様に礼をします。

 道場の出入りでも道場に礼をします。

 これらの礼は型の様でもありますが、はたして何に礼をしているのでしょう?

 私は、礼の背後には、その人の稽古に対する覚悟が関連しているように思います。

 稽古に対する覚悟、言い換えれば、稽古に対する姿勢といってもいいかもしれません。

 合気道は、どんなに安全に配慮していても、人を相手に打ったり投げたりする以上は危険と背中合わせです。

 ペアを組んだ相手への礼には、そのような危険な行為を、互いの信頼関係の上で、相手に我が身を任せる、同様に相手の身を責任を持って守るという覚悟・姿勢が現れていると思います。

 また、私自身が稽古の始まりと終わりに正面に礼をする時に考えていることは、この稽古の為にそれぞれの方が都合をつけてこの場に来ていること、それに報いるだけの内容の稽古ができ且つ怪我のない稽古ができることを考えています。

その上で、最後の礼の時には、今日の稽古で最高の自分を出し切れたのかという自問自答がございます。それから、私がこの稽古の場で必要として頂けた感謝の念があります。

 道場の出入りの際の礼、これは少々形骸化してしまいやすいものですが、その意味を考えると、道場という物に対する礼ではなく、このように整った道場という環境を私が使用できるまでには、私自身が知らない多くの方々のお陰があるという未知の感謝があることについて有り難いという思いがあり、そのように自らを躾けているという様に私は考えて行っています。

 礼の奥には感謝があり、感謝の奥には覚悟があり、覚悟の奥には謙虚さがある様に思います。

 人が本当に謙虚になれたときには、自ずと清々しい挨拶などができるのかもしれませんが、私はまだまだの様です。

 妻の祖母の座右の銘

 「実るほど頭の垂れる稲穂かな」

 我が頭、未だ実らず。

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